日々色々

モノノミカタ

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此の所、本をたくさん読んでいたりするのですが、
つくづく「本=人」なんだなと感じさせられます。
遠い存在の人、違う時代を生きた人などの、会うこと叶わない人の
言葉を聴ける本というものは、なんと有難いものなのか。

あるご高名な小説家の方が、「つまらない本なんてない」と
仰っていらした、という記事が目に留まりました。

確かに・・・。

つまらない人が存在しないように、世のすべての人がつまらないという本も
まず存在しないだろう。
もし、つまらないと感じる本に出会ったとしても、それは自身が勝手にそう
感じているというだけで、本そのものがつまらない訳ではない。
ただ自身がその対象の見方を持っていないというだけのことだ・・・。

だから時が過ぎて違う見方もできるようになり、改めて見直してみたところ、
初めて良さがわった・・・という現象も起きたりする・・・・・・。

そう言われてみると、納得の深いお言葉です。

しかもこれは本に限らず、すべてのことに通じて言えること。
この世に「つまらないことなんてない」ということです。

それでも仮にあるとするならば、それは「つまらないと思う心」だけだろうか。
いや、見方によってはそれすらも、やはりつまらなくはないか。

今は梅雨。
書店には本気の言葉を持った、たくさんの方々が待っていてくださっている。
その方々に会うために、また足を運んでみようかな。

謹賀新年

P10109262015ひつじ年。
あけまして、おめでとうございます。

年明けをのんびり過ごされている方、仕事で忙しくされている方、
みなさん色々でしょうが、いかがお過ごしでしょうか?
ウチの方では新年早々に吹雪いたりして、落ち着き無い天候ですが、
私は割りとのんびり過ごしていました。

今年は・・・いや、今年からはもっと・・・ですかね、
「美しい」年にしていきたいですね。
個人的にも、世の中的にも。

美しい年って何?って
それはもっともっと人が美しくなっていったらいいですよねってこと。
あ、もちろん、みてくれの話ではないですよ。
他の様々なことの話。

今年は終戦70年の年でもありますし、考えることはたくさんあります。
ですからまずは毎年年末に発表される「今年の漢字」で、
「美」と選ばれるくらいに。

そんな気持ちで今年1年がんばっていこうと思います。

みなさんも美しく明るい年でありますように・・・と願いつつ、
本年もよろしくお願いします。

夏の風物から

kingyo金魚って艶やかで、キレイですよね。
それにヒラヒラと泳ぎ方がかわいい。
特に上から見ると。
金魚は水槽とかの中より、綺麗な皿や器にいる方が似合うと思う。
小物・雑貨のインテリア感を漂わせていて、かわいくて好きなんですよ。
机の上に置いて飾れば涼しげでとても癒されそう。

と、そんな季節も過ぎようとする9月。
徐々に高い空と低い湿度の日々が増し、嬉しい限り。
秋は気分が落ち着くので一番楽しい。
残暑が抜けたら、いつかやってみたいと思ってる、いくつかの
くだらない自分の中の挑戦でもやろうかな。
たとえば「1日で映画館をハシゴして何本映画を観れるか」みたいな。

あ、これは以前、実際にやりました。
4本が限界。
「どんな映画でもいいから本数を稼ぐ」というのはルール違反で、
あくまでも「観たい映画だけを時間調整して観る」が自分ルールなので、
4本が精一杯でした。

でもダメですね。
うち2本は集中力が持たず、あまり頭に入ってきません。
「映画のハシゴは2本まで」
そう感じた挑戦でした。

そんな小さな発見のできるくだらない自分挑戦、
この秋みなさんもやってみてはいかがでしょうか。

遠くをつなぐ

kitsune先日「幽霊・妖怪画大全集」という、肉筆、浮世絵版画の展覧会に
行きました。
そのタイトル通り、幽霊や妖怪をテーマとした古くは江戸時代からの
作品を集めた、なんともオシャレで嬉しい展覧会。
妖艶な雰囲気を放つ肉筆幽霊画に、繊細で緻密な美の浮世絵版画、
愛らしく憎めない妖怪画など、とても素晴らしい作品を堪能し、
貴重な時間を過ごしました。

こういった展覧会などで絵画と向き合った時にいつも思うのは、
今、自分が向き合っているこの画面は、三百年も四百年も前に
作者の方が向き合っていた同じ画面なんだな・・・ということ。
決して会うことは無いけれど、同じ画面を通じて繋がっている。
感覚的には「遠く離れていても、同じ月を見ている」といった感じが
近いのかもしれません。
すごいことですよね。
永い時間を越えて、同じ画面に向き合えて、刺激を与えてもらえてる。
とてもありがたいことです。

私がこれまで白紙から完成まで向き合ってきた画面、あるいはこれから
向き合っていく画面も、もしかしたらいつかどこかで、
誰かが向き合ってくれる機会が来たりすることもあるんでしょうか・・・。
まあ、そんな機会が来るかどうかはわかりませんが、仮にあるとするのなら、
まだまだ足りないと思いながらも、向き合ってくれた人に対しては、
「少しでも何かを発せられる画面でありたい」と強く思います。
もっともっと、
一つ一つの画面に魂を宿して向き合っていきたいです。

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